リンネノイト
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けものフレンズ思う故に我あり

うれしー!たーのしー!すごーい!

ちょうど自分がコミティアのために下準備をしていた頃、ツイッターのあちこちでそんな感嘆詞のようなものが散見された。
また何か流行ってるんだなあ、まあ自分には関係ないものか興味の湧く代物でもないだろうと思った。
その時はまだ自分の体調を揺るがす程のアニメに出会うとはまだ思ってもいなかったのだ・・・。

当時自分はけものフレンズ抜きで、今年のアニメは例年に比べて「豊作」であると感じていた。
「メイドインアビス」「魔方陣グルグル」そして現在放映中の「リトルウィッチアカデミア」。
これまでカイバやまどマギ、物語シリーズ以降身の毛のよだつ作品に触れることが少なく、自分はアニオタじゃーないんじゃないかと感じていたけどこれらのアニメの情報が開示されたことによって久々に胸の高ぶりを覚えた。
何故?と言われたら単に内容を知っている作品だから、というだけの理由かもしれない。
(リトアカは元々トリガー作品が好きでリトアカの映画も見た事があるし)
ただ自分の好きな作品が現在進行形でアニメ化するということは珍しいし、原作で知り得たキャラクターの表情や動きといった作品内の情報群が幾多の人の手によってどのように映像化されるのかという興味から胸が躍るのじゃということも否定できない。

当のけものフレンズに関しては失礼ながら字面すら見た事が無かった。
ましてや内容を知るわけもない。
ただツイッターでいくつかの感嘆詞があちらこちらで信号の如く明滅していて、これがけものフレンズに至るワードであるとうすうす感付き始めたのはコミティアのために東京に滞在していた時のことだった。

それからコミティアが終わって、自分は帰路についた。
大きな出来事の後はただでさえ無能な頭がまったく働かないためにただの肉塊でしかならず、
まるで仕事にならないだろうと考えあらかじめ東京から帰った翌日も静養を兼ねて有休をとっていた。

これが良かったと思う。
休みをとっていなかったら、なまけようと思わなかったら、けもフレに出会う事も無かったのかもしれないからだ。
平沢進がかつて「人生はいくつかのバイパスと分岐で出来ていて、その時その行動をとらなければ今の自分とはまったく違うことをしていたかもしれない(意訳/要約)」というようなことを綴っていたがまったくそのとおりだ。
(記憶が正しければ白虎野に纏わる記事でそのようなことを書いていたかも。関係ないけど「白虎野の娘」という曲はけもフレに合っていると思う。)

その日は大半をダラダラと過ごしつつ、現実における荷ほどきと二次元上における荷ほどきの両方を行った。
コミティアでは電脳上でしか会ったことないいろいろな人に出会う事が出来た。
その人たちの姿と姿を点で示すべくツイッターを開いてみた。
・・・そして目にしたツイートが畏れ多くも合同誌でご一緒した漫画家・牡丹棚さんによるけもフレに纏わるツイート群だった。
その時はじめて「けものフレンズ」というアニメの存在を知り「すごーい!」の正体がけもフレにあると分かり
自分の中の点と点が交差し判明に至ることができた。
おそらく牡丹棚さんをフォローしていなければ、牡丹棚さんと知り合いでなければ、もっと遡れば机上研究会の活動に参加していなければこうしてけもフレに触れる事も出来なかったんではなかろうか。
今知ることが無くてもやがてやがては触れる事もあったかもしれない。
けど番組表上で現在進行形で活動しているアニメを見る事は大変意義のある事だと思う。
リアルタイムでアニメを鑑賞すると言う事は一話一話まだ見ぬ話に思いを馳せる楽しみが生まれるということ。
何よりネット上で様々な人とアニメの動向について語り合えるというのは今の世に生まれた事に対し感謝しなければならない事柄かもしれない。
そんなこんなでこの場を借りて牡丹棚さんに感謝の意を表させて頂く。

けものフレンズと対面したその日、早速ニコニコおよびgyaoで1話を見た。
まったく現代社会様様である。ありがたや。
そういうことで視聴開始。
何か爽やかなBGM。中々味のある風景だ。
猫の女の子が寝ている。模様から察するに普通の猫ではない。
これがうわさに聞くサーバルちゃん、か。寝ている姿は可愛らしいな。
おや、もうひとり誰か出て来てサーバルちゃんがその子を追いかけまわし始めたぞ。
・・・うーん、演技が下手な人ではなさそうだけど独特な声だな。
棒読みの様な、そうでないような。
CG自体元々あまり好きな方ではないから、もしこれを見続けるとなれば慣れるまで時間かかるかも。
(中略)
サーバルちゃんいいこだな!?かばんちゃんはどこからきてどこへ行くのか!?
セルリアンって何!?フレンズとはなんぞや!?そしてラッキービーストとは!?
戦闘BGMかっこいいな!?ジャングルでは何が待つ!?としょかんでは何が待つ!?
あああああああ!

そして自分はフレンズになったんだね!

それから2話、3話と見たけど噂で知った通りIQが下がると言うか、深夜アニメなの?っていうくらい
心に優しいアニメだと思った。
視聴後、戦闘や色沙汰でドキドキしたまま床につくようなものでないことは確かだ。
深夜アニメでもある程度緩い日常系アニメは多数見られるがそういう緩さとも違う。
萌えとか媚びを感じないと言うか(無論萌えや媚びはそのアニメによっては絶対に無くてはならないスパイスである)
なんだろう、ほんわか?いや、優しい?
適当な言葉が見つからないアニメだという印象。
ただ動物やその動物の動物らしさ、フレンズにおいてただの擬人化で終わるのでなく元の動物の習性を自然なかたちで
反映していることに好感を抱いた。
今では(昔から)擬人化というものは溢れかえっている。
ありとあらゆる万物・万象を人の型にせんばかりの勢い。
擬人化されたもののほとんどが可愛い女の子かカッコいい男の子。
ちゃんと元ネタを活かした立ち振る舞いをする子も多い中、元ネタの物が元ネタである必要がないような子も見られる事が多くなってきたような気がする。
「擬人が氾濫している。」
けものフレンズのフレンズ達はそういった擬人化界隈の中では最も正統派に近い。
擬人化がありふれている今日この頃であるからこそ擬人化の原点とも言える(最初の擬人化は自然環境や気象を神化したことかもだけど)我々のように温かい血を分けあう存在、動物の擬人化であるけものフレンズが受け入れられたように思う。

サーバルちゃんをはじめ、フレンズのみんなは本当に優しい子ばかりで見ていて安心する事が出来る。
ちょっと愚痴のようになるけど今に限った事でないかもだけど近頃のアニメはちょっとしたことでキャラクターを傷つけたり、
キャラクターを死なせてストーリーを盛り上げる傾向にあると思ってる。
そういう事が前提のエログロを伴うダークストーリーなら仕方がない、というかそれが本質なのだから致し方が無い。
自分もそういうのは嫌いなわけではない。むしろ自分の活動の原点がそういう方面だから興味の対象ではある。
結局なんなの?ってことだが、ようはその後の展開において本当にそのキャラは酷い目に合ったり死ぬ必要あったの?って思う事が多々あるということ。故に途中で視聴をきってしまうことが多い。
確かに古今東西のあらゆる媒体におけるストーリー上犠牲というのもはつきものでその犠牲によってお涙頂戴、ストーリーに厚みが増すだろう。
ロミオとジュリエット、カヴァレリアルスティカーナ、蝶々夫人・・・オペラや歌劇においても死は恰好のスパイスである。
けれどそれらの登場人物の死はその物語の鍵そのものであり、物語に見合う鍵であるからこそ扉を開き最後には喝采を浴びる事が出来るのである。

だいぶ話が逸れたけどけもフレはフレンズが傷つけあう事が無く、最後まで誰ひとり犠牲を出さなかった。
(ボスがボディを失ったのは可哀想だけど)
本当にこれはすごいと思う。
それだけでもすごいと思うのに「死」を描かずにこれほどの感動を与えられたのには驚嘆に値する。

かばんちゃんを通じてヒトという存在について再認識する事も出来た。
年々人間は動物を殺したり挙句の果てに人間が人間を殺すことで人間としての尊厳を失い続けている。
尊厳の欠如と言う事は自信の喪失とも言い換える事ができ、人間はかなしいいきものと成り果てつつある。
かばんちゃんはヒト本来の能力を活かしてフレンズたちを助けてきた。
動物(フレンズ)としてのヒト本来の力、能力とはこういうものだと気付かされた。
サンドスターがなくても人間は誰しもが持つ自身の持つ「輝き」に気付いてほしい、そう願わずにはいられない。

また脱線したけどけもフレの脚本や演出はすごいということ。
脚本、演出が良いということは音楽、音響も素晴らしいと言うこと。
一話一話、まったく良い方に期待を削いでくれた。
約25分中に伏線があちこちに張られていてそれが良い具合に緊張感を与えながら、さばんなコンビの仲良し感やその回で出会うフレンズさんとの触れあいが何とも微笑ましく、そのギャップが心地よい。
それに合わせたストーリーの展開の緩急も絶妙である。無理に盛り上げようとせず自然な流れで次の展開に移る点は古き良きドラマ的な印象を感じた。
END入りも丁寧で、どうなってしまうのか次が楽しみで仕方ないといった具合。
とくに7話ではかせたちと会って以降の展開は来週までが異常に長く感じた。

OPやED映像もストーリーに一役買っていて、演出として活かしている点にセンスを感じた。
とくにEDに関しては実写で、廃墟の写真を使うというところが何ともシブく、物語の予感を印象付けるのに程良く効果を発揮していると思った。かっこいい演出。
他あらゆる細かい点において作り手の作品に対する思い入れを感じて、そういう点においても安心して見られるアニメと言う印象を持つ事に繋がった。

物語において8話のPPPライブの回以降物語は徐々に核心に近づいて行き11話ではついにかばんちゃんがピンチに追い込まれる。
絶体絶命のシーンに視聴者(フレンズ)は11話ショックと呼ばれるパニックを引き起こし、ツイッター上でたつき監督をはじめしんざきおにいさん、シャープやタニタといった関係の無いあらゆる方面に助けを求める姿が見られた。
本当にどうなってしまうのだろう。
「たつきを信じろ」という言葉がまるで1984年のそれのようにあちこちで見られ、自分も信じる他ないと感じていたが一方でここが展開の最大の分け目であり監督の判断によってはどんな展開にする事もできるとも思った。
作り手はどのルートを選ぶんだろう?
それからの一週間は長かった。
前日には胃が重くなり当日は胃が痛みだした。
アニメでこんなステータス異常が生じる事は生涯ではじめてである。
かばんちゃんの無事を祈りつつ、どんな展開になってもいいからちゃんとしたまとまったかたちで最終回を迎えてほしい。

そして最終回は大団円という結果に終わった。

安堵した。

いや、絶対こうなるよと思っていながら最悪の展開になる事を予想してしまっていた自分が恥ずかしい。
しかし本当にけものフレンズは奥が深いアニメだと痛感した。
どうやら最後の画面につづくという文字があったとのことなので2期に期待が持てる。
一方で今期がこんなに素晴らしい物語であったからこれで最後にしてほしいという気持ちも無くは無いのだけどね。

昨日の午後に新作の映像作品を製作するといった内容のメッセージが公式から発表されたとのことで、自分はまた胸の高ぶりを予感している。
今となってはCGの雰囲気も気にならない。食わず嫌いはつくづく良くない事だと思う。
これからもけものフレンズの動向に注目していこう。
いつまでも愛される作品になるよう応援しています。

ものはいてものけものはいない。
本当の愛はここにある。


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大型クレーンを見てるともの悲しい気持ちになる
なにゆえ


許す気持ちや許したい気持ちが浮かんでこなくて結局許せないからどうしようもないことってあるよね
どうせ許せないなら心の底から憎んでしまえばいい
記憶から消えるのを待つのより、憎んで憎んで一夜のうちに夢の中で殺してしまえばいい
くたり氏、元気かなあ
木苺とか地獄のゆかいな仲間たちのお話読んでみたかった

結局のところ市販されとる漫画とかよりも自分の周りの人らの作品を読みたいという

どうやら去年の今頃から日誌を書き始めたらしい

一年は重かった
金色の雨が土壌を満たし白い花が咲き乱れ、花畑にてヘレナが舞う
しかし運命の輪から外れることは出来ない
運命の女神が冷たい笑みを讃え一瞬で枯果てた地上を駆けてやって来る
カルミナ・ブラーナの終章のように

時間を忘れるくらいに愉しい時間も、大いなる運命の手の内では指の先よりも小さくか細い存在なのだ


後輩には申し訳ないが少し距離を置かせてもらおう
君のその話を聞いてるとまるで僕がだめになってしまうのだよ。あぶない、あぶない


ロックマンゼロのバイルとヘルシングの少佐は少し境遇が似てると思った
国を追われた(片方は国自体侵攻されたんだけど)っていうのと、体を機械化してるってだけだけどさ

実質サイボーグであっても自分は人間であるとして死にゆく少佐を見てたら、こんな体でもバイルのわしは人間なのだよという台詞が思い起こされた

あの声優さんの声好きだったなあ

何この絶微妙な話題
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